ふたりの、




 どうしたら、伝わる?
 どうしたら、届く?



 腕を、手を、指先を伸ばす。
 辿り着けるように。

 それでも無理なら――――この想いを、この言葉を。
 伝えてみせる。届けてみせる。











「うーん……」
 娘は眉を顰め、頬杖を突いていた。右手にはペンが握られており、宙で宛ても無くゆらゆらと揺れる。
「違うんだよね……こうじゃ無くて」
 彼女の目の前には年期の入った古い木の机があり、その更に上には真っ白な便箋が真っ白なまま置かれている。が、周囲には同じ色の紙が丸められた状態で大量に散乱しており、とても腰を落ち着けられる場所には見えない。
 椅子の背もたれは、悩む彼女の姿を笑うようにカタカタと音を立てる。
「……はぁ」
 少女はこの日、12回目のため息を吐いた。

 何と書いたら良いのだろう。呟いては項垂れる。
『こんにちは』も『ひさしぶり』も、あの人に宛てる手紙の書き出しにはどうしても似つかわしくない気がしてならない。ならばこの気持ちをどう伝えて良いものやら、脳内は混沌として訳が分からなくなる。
 会いに行けば良い? 電話すれば良い?
 それが出来るなら、最初から手紙をしたためようとはしない。
 声にならないから言葉を使うのだ――もっとも、その言葉さえなかなか絞り出せない今の自分がここにあるのだが。
「……どうしよう……」
 頭を抱えて突っ伏すと、鼻に当たった檜の板が心なしか香った。



 あの人は、旅に出た。
 手を振ってそう遠くない日の再会を誓い合ったのに、それきりもう2年間も音沙汰が無い。
 彼にとって「2年間」とは「遠くない再会」の許容範囲なのだろうか。ふとひねくれた考えが過ぎって、「あり得るなぁ」と呟いてまた落ち込む。一度引っ掛かるとなかなか吹っ切れないのは悪い癖だ、と彼女自身にもわかっている。
 大人はみんな、何か事情を知っているようだった。ところが尋ねれば尋ねるほど「お前に知る必要は無い」と言われ娘には知らされず、取り残された不安ばかりが募る。

「怪我、してないかな」
 傷を作っていなければそれで構わない。
「病気も、してないかな」
 体調を崩していなければそれで構わない。
「……元気に、してるの……かな」
 少し上半身を傾け、右頬だけを机に当てる。遠くに見えるのは再会場所に選んだ薔薇園、芳しく咲き誇ってもやはり刺々しい。

 あの笑顔が失われていなければ、あの夢が壊れていなければそれで構わない。
 涙を堪えて送り出したのは、そのため。彼の帰るべき場所はいつもここに用意してある――別れた日にそう決めたから、待ち続けてきた。
 だが。

「待ってなきゃ……いけない……?」



 ああ、と彼女は瞳を閉じて嘆息した。
 これではまるで、囚われのお姫様だ。王子様の助けが来るまで何もせず、ただ祈りながらじっと「待って」いる。
 彼女達はそれで幸せなのだろうか?
 所詮行動は縛られ、受動的にしか幸せを得られない。

 悔しい。寂しい。怒りたい。哀しい。
 手を伸ばすことは許されないのだろうか?
 目頭がカッと熱くなって、薔薇園が急に霞んでくる。冷たい檜で火照った顔を冷やそうと額に強くそれを押し付けるが、気持ちまでも冷やすことは出来なかった。











 待ってなければ、いけない?
 何を。
 待ってなければ、いけない?
 誰を。
 待ってなければ、いけない?
 ――どうして。



「怖いから……」

 あの人に会いたい反面、自分から歩いて行くのが怖かった。
 動けば真実に近付く。近付けば自ずと染みも見えてくる。見たくないものが見えれば苦しむのは自分自身で、あの人が帰って来ない『理由』まで知りかねない。



 だと、しても……歩き出さなければ。











 娘は目を擦って重い頭をもたげた。当然のように笑うことを止めない椅子から、突き放すかの如く立ち上がる。机上の便箋が一枚、風に当てられて床にひらひらと落ちていく。
 薔薇の香りが一挙に押し迫る。
「もう、待てない……!」
 そこから彼女に迷いは無い。鞄を出して適当に詰め込まれる、食料と着替えと必要最低限の生活用品。
 旅の準備だ。

 手を伸ばさなくては終わることは無いが、始まることも無い。
 お姫様ではいるのには飽きた――伸ばしても無理なら、走って捕まえるしか方法は無い。
 同時に、自分の殻から飛び出すためにも。



 遠くにいても、繋がっている。
 そう信じて迎えに行く。
 どこにも出されない手紙と、どこに掛けられない電話。その両方を捨てて、彼女は長い長い旅を決意した。

 目の前の扉は、今まで囚われていた枷。
 勢い良く開けばそれまで見ようとしなかった世界が広がっていく。



 飛び出した娘は、憂鬱な表情を快活なものへと変えて姿を消す。
 繋がっていたい、と思える人の元へ。
 繋がっていたい、と感じるままに進むために。











 ふたりの、手紙よりも。
 ふたりの、電話よりも。
 ふたりの、小さな繋がりが良い。
 それが、……ふたりの、しあわせ。


*     *     *




2005.7.9  藍咲万寿



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藍咲旅館様の2周年記念フリー小説を 昨年に引き続き、
またしてもちゃっかりと頂いてきちゃいました♪
毎回毎回、藍咲さんの描く世界にハートを鷲掴みメロメロドキュン(←馬鹿)な藍羽です(笑)
物静かな中に明確な意志が感じられて、
待ってるだけじゃダメなんだ、
自分から動き出さなきゃ何もつかめないって言われているようで、
自分も頑張らねばなぁという気持ちにさせられました。
まずはサイトの更新を定期的に出来るようにならきゃいけない、
駄目管理人にすっかり成り果ててますが、
これからも、末永く仲良くしていただければと思います^^
藍咲さん、2周年おめでとうございます!!